霊山十和田と十和田信仰
いにしえの時の流れが宿る聖域
元来、十和田にも原始的な霊山信仰が存在していた。
御倉半島に霊魂が宿っていると考 えた大昔の人びとは、そこに自然の神がかり的な力を見たのであろう。
それは御倉半島そ のものであったし、龍神でもあった。
龍神というのは確かに水・雨を司る神であるが、
も とをたどれば自然の力を自由に操り、
穏やかな時は人地に恵をもたらし、
怒れば災いとな る、
恐れや崇敬の対象であった。
北奥に仏教が伝わった時、仏教を伝えた聖たちは在来のカミをないがしろにせず、
在地 のカミの助力を得てそのカミを祀ることで寺院を開いた。
縁起には南祖坊が龍神となって 湖に入り、十和田の主となった様子が描かれている。
この説話はまさしく、「善神威を加え 」のごとく、
カミが仏教者としての南祖坊の行為を加護したことを示している。
仏教 が十和田で定着するためにはやはり在地のカミの力が必要であった。
~中略~
御倉半島は「お やま」であり、神宿る岩である。十和田にも北奥独自のカミ信仰が存在していた。
~中略~
これまでの十和田信仰研究では、
十和田信仰を語る際に十和田の地域的独自性という視 点が抜けていたために、
龍神と水神とを結び付けるしかなく、
雨の神という性格付けがな されてしまったのである。
十和田は水神信仰という性格を確かに持っていた。しかし、そ れだけではないのである。
十和田さまをはじめとする水神信仰としての十和田信仰は、
十和田の修験たちが元々民 衆の現世利益指向を満足させるために加持祈祷を行っていたものが、
信仰が広まっていっ たことで、
本来の現世利益としての祈祷性格が現世利益の中でも豊作を望む民衆と強く結 び付くことで、
龍神・水神や水・雨乞いといった部分だけが強調された結果の信仰形態だ と考える。
十和田信仰は現世利益という信仰性を持つがゆえに幅広くその信仰を集めるこ とが出来た。
それが、津軽で定着する段階で、農耕的な要素とだけ強く結び付いてしまっ たのだ。
~中略~
参詣者は諸々の願いを御倉半島 あるいは龍神(=南祖坊)に祈った。
信仰の対象は仏ではなく、あくまでも十和田のカミにあったのである。
そこには仏教的要素が入り込んでもなお、
カミを信仰するという北奥 独特の信仰観念があった。
ここでいう「カミ」とは
日本神祇の系譜に位置づけられるよう な神ではなく、
太古からの「カミ」である。
伝説の主人公である南祖坊は仏教者であるが、
十和田では青竜大権現として信仰されている。
この、仏もカミとして崇める信仰観念は、
一般的に語られるような仏教サイドからの宗教置換では説明できない信仰観念である。
十 和田では、北奥独自のカミ観念によって、
カミサイドから宗教置換がなされたのである。
カミを仏の中に位置づけたのではなく、仏をカミの中に位置づけたのである。
十和田信仰 は、
一般的な神仏集合論・本地垂迹説からは論じ得ないのである。
この北奥独自のカミ観念・信仰観念こそが、
十和田最大の宗教的特徴であり、
そこに十 和田信仰の本当の価値を見出すことが出来るのである。
弘前大学大学院 教育学研究科
教科教育専攻 社会科教育専修 歴史学分野 尾樽部圭介



