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霊山十和田と十和田信仰

十和田古道

 十和田湖は中世から修験宗徒・山伏の修行場として知られ、近世には熊野権現・青竜権 現として恐山と共に南部藩の二大霊場とされていた。十和田山の縁起や本地物も数多く作 られ、隆盛を極めていた。かつては広く信仰され壮大な信仰の世界が広がっていたのであ る。

 江戸時代には人 も住まず道路も整備されていない土地であった。当時の十和田湖への道は、五戸から戸来 を通る道と、奥瀬・馬の神・銚子大滝を通る道と、秋田県から発荷峠を通る道の三道があ り、どの道も難所がいくつかあって旅人は案内人をたててやっと通ることの出来た道であ った。

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●五戸参詣道

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●七戸参詣道

松浦武四郎は、江戸末期から明治初期にかけて活躍した北方探検家・著述家で、蝦夷地 の調査をしたことで有名である。武四郎はたくさんの紀行文や調査報告書を残しており、 その一つの『鹿角日誌 巻之壱』は、武四郎が嘉永二年(1849)の蝦夷地調査の帰りに十 和田湖に立ち寄ったときの紀行文である。 武四郎は七戸を出発し、洞内村・荒屋町・中野村・波立村・板ノ澤村・チウセ村・中ノ 渡村・小澤村といった村々を行き、奥瀬村からは山越えをして奥入瀬渓流沿いの銚子大滝 へと出た。銚子大滝からは子ノ口、宇樽部と行き、休屋へと入った。 5 奥瀬村は「則十和田山の別当を尋ねて宿しけり。(中略)家の侍に新に小堂を建て、是に 幟等建、又幣等を上て宮様のこしらへに致し、是に十和田山と額を懸たりける」とあるよ うに十和田山の別当が住む村で、武四郎はここで一泊している。 奥瀬村からは険しい山道である。この山道は大変険しかったらしく、武四郎も大変な思 いをして登ったとある。険しい九十九折の山道を行くと惣辺牧場に出る。ここは「南の方 を見るに遥に華表一基見えたり。是は五戸より上る道なるよし同行の者云けり」五戸道と の合流点である。 惣辺から惣辺川を渡り再び険しい山道を行くと、とうとう湖畔を見渡せる場所へと出る。 遥拝所である。武四郎によると「熊笹原に出、三、四丁原を行と遥拝所に出る。石華表、 石燈籠を立たり」とある。この遥拝所は銚子大滝のすぐ上にあり、かつて十和田湖が女人 禁制であった頃には女性はここまで来て十和田湖を拝んで帰るきまりであった。遥拝所か ら急峻な坂道を下りると銚子大滝へと出る。銚子大滝の手前には大杉明神という小さな祠 があり、今でも残っている。 銚子大滝からは湖岸沿いを歩いて行き宇樽部へと入るが、その道中、「凡二十丁計りも行 て小詞有。何神を祭るやらん。問ふ人も無」という祠があったことを記している。現在で は松倉神社とかかれた鳥居が立っているが、この鳥居は最近になって建てられたものであ る。『当時十和田参詣道中八戸よりの大がひ』には、「夫より御松蔵、是はむかしのおさん ご場のよし也。小さき御堂あり」とあり、この場所がヲサゴ場であったことがわかる。 宇樽部に入った武四郎は、「凡半りもと思ふ比に大なる老木の根上りたる処在り。是を胎 内潜りといへるよし。参詣之諸人皆此穴潜る。少し計も行て左の方より此処にて出合道在。 是は三ノ戸より上る道なりと聞り。是も同じく細道にて甚わかり難し」と当時の宇樽部周 辺の様子を記している。宇樽部には参詣者が胎内潜りをする老木があった。また、宇樽部 は七戸・五戸参詣道と三戸参詣道の合流地点であった。

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 五戸参詣道については、『当時十和田参詣道中八戸よりの大がひ』や『十和田参詣案内記』 に記されている。『当時十和田参詣道中八戸よりの大がひ』は『十和田記』に納められてい る史料で、同様に納められている『御縁起見る心得のヶ条覚』の成立が文政十二年(1829) のことであるから、資料の成立年代はおおよそ文政年間(1818~1830)のことだと思われ る。『十和田参詣案内記』は上野弥吉が明治十六年(1883)に書き写したものである。両史 料の内容はほとんど同じもので、紀行文では無いので道中についてはあまり詳しくないが、 信仰については詳しく書かれている。 『当時十和田参詣道中八戸よりの大がひ』には、「八戸より参詣の人大方五戸へまわる也」 とあり、八戸からの参詣者は五戸を通って十和田湖へと参詣していたことがわかる。また、 「柏木 猿畑 森の越 右三ヶ村の内迄八戸立ちたる日は罷越泊る也」とあり、八戸から の参詣は柏木・猿畑・森の越のどこかにて一泊するのが一般的であった。 柏木を立ったら木際へと向かう。この木際とは、「柏木を立て木際まで上方(り)道にて 凡二里程なり。但し柏木にて馬を雇ひ木際まで乗てよきよし。~木際に燈籠二つ立て有り。 むかしは木際にて乗馬をやすませ候よし。当時はせらべ川というふ所迄馬乗り候よし。右 木際にて休て八戸の方を見渡し休む也」とあるように、八戸を見渡しながら休むことが出 来る場所であった。現在、木際と呼ばれる場所は無い。小笠原カオルは、見晴らしのよい 月日山が木際だとしている。この月日山には日月神社という神社があり、傍には水の湧き 出る井戸もある。 ここから惣辺まで行くと七戸からの参詣道と合流する。

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